2008年10月16日

BLOG ACTION DAY:「貧困」について考える   の名を借りたアレ



全世界でいっせいに同じテーマについてブログを使って考えようという「BLOG ACTION DAY 2008」という企画に興味本位のみで参加してみてしまったので、せっかくなので記事をアップする。

テーマは「貧困」だが、日本に住んでて日本の事しか知らなく(知ろうともしていない)自分には手に余るテーマなので、当初は話をすり替えてもっと身近な「貧乏」について書こうと思っていた。
が、元々書きたいと考えていたネタでもあったため、本来の主旨からは遠く離れ、また無駄に長い文章になり終わりそうになくなってしまったので、すっぱり路線を切り替えた。
それらについてはまた機会があったら書きたいと思う。


冒頭に載せた画像は藤子・F・不二雄の「征地球論」という漫画の1ページ。
小さくて見づらい場合は、リンク先にもう少しだけ大きい画像が載せてあります。スキャナもってないので携帯撮りの画像ですいません。

世の中の仕組みとかよくわかっていなかった頃には、「貧しさ」や「世界のあり方」について思いを馳せると、毎回必ず「共産って究極の理想世界だろうになんでうまく行かないんだろう」なんて考えに行き当たってた。
そもそも「共産」という言葉の意味も正しく理解していないのだから、こんなのはただの子供の思考でしかない。
アレだ、「平和を望んでない人なんていないのに、何で戦争は絶えないんだろう」なんて愚問と一緒だ。

でも今でも正直、よく分からないんだけどね。
いや、分かってはいるんだけどさ。
結局は人あってのものだから。

うーん何か危ない方向に話が展開していきそうだ(笑)。
別に共産主義者とかではないですよー(笑)。

先の画像から一節を取り出せば、
「要するに人間社会というやつは何度かき回しても
ピラミッド型にまとまる傾向がある」
そういう事なんだわな。

「世界の貧困を解消しよう」という意義のある企画だろうに、
「そういう生き物なんだからしょうがないんだよ」
てそりゃねーわ(笑)。
そういう生き物ではあるが、しかし自分たち一人一人にも何か出来る事があるはずだ、とアクションを呼び込むための運動だろうに。
アフィリエイトもしてないから、このブログから寄付とかも出来ない。
全くもって無意義。


藤子・F・不二雄の「征地球論」には、次のようなくだりもある。





はるか遠い星の宇宙人たちが、銀河の端の辺境にある地球という星を征服すべきか否か、喧々諤々の議論を交わしているお話。

彼らにとってみたら、地球とそこに住む人間たちはとても奇妙な生き物のようです。
どのような結論に至るのか、それは読んでのお楽しみ。

氏の短編集は様々な形態で出ているので何という本に載っているとは一概に言えないんだけど(もう手に入らないものもあるだろうし)、今私が持っているのは「My First BIG」シリーズの「地球人って何?」編。コンビニとかで売ってたやつ。古本屋とかでこのシリーズよく見かけるので探したらあるかもしれません。
藤子・F・不二雄のSF短編はどれも面白いので、もし興味があったら読んでみて下さいな。
ドラえもんくらいしか知らない人にしたら、結構目から鱗だと思うよ。


と、途中から「貧困」というテーマはどこへやら、BLOG ACTION DAYの場を借りた単なる藤子・F・不二雄の宣伝ブログでした(笑)。
posted by シノブ at 00:06| Comment(3) | TrackBack(0) | はじめに・雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月28日

人は弱い

若者の自殺よりも、中高年の自殺のニュースの方が自分にとっては聞いていてやり切れなくなる。
勿論いじめの末の自殺なんかは毎日が地獄のようだったろう、とかわいそうでならないし、鬱によるものも本人ではどうにもならないものが心を蝕んでいたのだからその辛さは計り知れない。
ただ、借金がまわらなくなり首を吊る中小企業の社長とかのニュースなんかを見ると、たまらない気持ちになる。
その人がそれまでやってきた数十年はなんだったのだろうと。
今回の松岡農相の自殺は自らが撒いた種であって同情される余地はほとんどない。
だけど、自分がそんな汚職まみれの典型的な汚い代議士になると議員になったばかりのころに思っただろうか。
おいしい思いをしたいがためだけに議員になったのかもしれないし単に流れでなっただけかもしれない。でも多分、自分が日本を変える、そんなことを思ったりしてたころもあったんじゃないか。理想に燃えていた時期もあったんじゃなかろうか。
どこで間違ったんだろう。
どんな気持ちで首にひもをかけたのかは推測でしかない。
ただ、もし、踏み違えたものを後悔しながらだったのだとしたら。そう思うともやもやしたものが胸の中に充満してくる。

人は弱い。
一度甘い蜜を吸うとそう簡単には戻れない。
エントロピーの法則じゃないけど、一度外れた箍はまず戻されることはなく、エスカレートし、精神は麻痺し、肥大化していくのみで後戻りは出来なくなる。
そして気づいた時にはもう遅い。
どこから掛け違えたんだろう。
死ぬ間際の脳裏にそんな言葉が浮かんでいたのかもしれないと思うと、そんな弱さを人間に持たせた神様とやらを憎みたいような気持ちにもなる。(関係ないが私は神様ってのがもしいるのなら悪趣味のエゴの塊みたいなヤツで、崇拝できるようなもんじゃないと思ってる)
人は悲しい生き物だ。己を完全にコントロールすることすら出来ない。

これはあくまで私が自分の頭の中で勝手にイメージしたものなので、松岡農相の自殺には全く違った側面があるかもしれない。
でも、人間ってなんて悲しい生き物なんだろう。このニュースを聞いてまず頭に浮かんだのは、そんな1フレーズだった。
ラベル:ダメな人
posted by シノブ at 18:07| Comment(2) | TrackBack(0) | はじめに・雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月03日

生きる/死ぬ

湧き出てくる感情は胸糞の悪さしかない。
具体的に話をするのもイヤだからあえて固有名詞とか出さずに書くが、何年か後に見たら何の事やらわからんかもな。わからなくなってしまうんかなやっぱ。記憶は薄れていくのかな。
思いっきり話はそれる予定なので、もしこれを読んで下さる方がいましたら、件の事件についての考察なんかは期待しないでやって下さい。多分そういうものにはならないと思うので。

今回の事件そのものに関しては平和ボケした日本人のバカさを改めて感じさせただけで、まぁ自分の中ではもうふーん、程度のもので終わってて(それもどうかとは思うけどね)特に書き記すつもりもなかったんだけど、その動画が出回ってるのを知り何か急にざわついたって言うか、憤ってしまったって言うか。冒頭の言葉はそれに対するものなんだけどね。
色んな主張もあるだろうよ。正義の定義の違いもあるだろうよ。だけどその動画をネットで流すって悪趣味以外の何物でもないやん。
幸いと言っていいのか、私はその胸糞悪くなる動画を見れる環境にないので見ずにすんではいるが、見たくないとかそういうこっちやなくて。
おまえ等の言いたい事はその行為によって薄っぺらくならないのかって言う。やってる事への矛盾くらい感じろっての。それによって何が得られるんだ、何をしたいんだ。たまたま流出しただけであちらさんの主張に基づく行為なのかどうかは知らんけど。
絶対、100パー無理でやりもしないのは承知の上で、奴らと膝突き合わせて徹底的にその考え方の根底を崩してやりたい、そんな衝動にかられたくらいにして。近所の口うるさいおばちゃんそのものですが。まぁそんなような感覚で。こういう大きな事件に対して近所のおばちゃん的感想持つのも頭の悪さ丸出しですが。
宗教なんて半ば洗脳みたいなもんで、その思想の根幹に突っ込んだところでその時点でリミッターがかかりそれ以上考えられなくなるように出来ているので(これは何も宗教に限らず凝り固まった思考ってのは何にせよそういうもんだろう)、私のつたない弁論レベルじゃどうにもなるはずもないのも承知の上で、まぁ一瞬そんな事を思ってしまいましたとそれだけの話です。

でも言っちまえばもっとヒドイ殺され方、死に方をしてる人は今この瞬間にもごまんといる訳で、もっと言えば「死ぬ」て事自体に差はない訳で、それでもこんだけざわざわした物を感じるのはやはりそれが日本人だったからだろう。自分は大丈夫だと何の根拠もなく思っていたが大丈夫でも何でもないと気付かされ、ようやっと自分事として受けとめる事が出来た、イヤそれでもまだまだどっか他人事だやな。


この期に及んでまだ言うけど、私は自分は死なないと思っている。
勿論、いつ事故にあわんかもわからんし今健康だからと言って病気にならない保証もない。そこら辺は自覚してるつもりではいるが、だからと言って今すぐ死んでも困らないよう準備を整えているかと言うと、見られたら恥ずかしいアレやコレやも片付けてないし、ぶっちゃけ子供へも何も残していない。これは自覚してるとは言えないだろう。
死に対するリアリティがないんやな。私はもう30にもなるけど未だ身近な人の死を経験していない、葬式ですら子供の時以来出ていない。そんなところも無自覚でいられてしまう所以かもしれない。

変な話だけど、昔は別に死んでもいいやと思っていた。自殺願望があったとかじゃないよ。
高校くらいの時とかさ、信号待ちしながら「あー別に今ここで車にひかれても何の思い残しもないなぁ」とか思ってたのね。そりゃ本当にひかれりゃ死にたくないと思うだろうし親の事とかは全く考慮に入れてないんだけど、何てか生きてく事にそれ程執着がなかったと言うかむしろめんどくせーなー、と感じてたと言うか。
遠い知り合いですごく真面目で懸命に生きてる人がガンでなくなったと聞いて、「何でああやって真剣に生きてる人が死んで自分みたいな適当に生きてるのが残ってるんだろう」と不思議で仕方なくて、「魂をばくってあげたい」とか死んだ人に対して失礼千万な事を思ったりもしてたのね。

でもさ、子供が出来たらびっくりするくらいその考えは消えてさ。
今アタシが死んだらこいつも死ぬんだなぁ、迂闊に死ねないなぁと寝てる我が子を見ながらぽつりと思うようになったのよ。まぁ実際には私が死んでも身寄りがないでなし死にはしないんだけどさ。
どっか厭世的なところもあった自分にとってその考え方の転換ってのは凄い大きな事で、そう自然に思った事に対して自分で少し感動したくらいにして。
だからっつって私が親としてちゃんとやれてるかってのはまた別問題なんだけど(笑)。
自分で言うのも何だが典型的な若親って感じでさ、色んな事に常識がなくて。別に元ヤンでも見た目いかにもでもないんだが(笑)。

ただ子供は産んで本当に良かったと思う。こんな親の元に産まれて子供はいい迷惑かもしれんが。
我ながらバカだとは思うが、子供に生きてて楽しいか、死にたくないか聞いた事があるのね。小学生にそんな事聞いてどうするんだって感じだけど。
そしたら当たり前だけどまだいっぱい遊びたいから死にたくないって答えたのね。当然だってな。ほんと聞く方がバカですが。
生きてく上での大変さとかそういう物にぶちあたるのはこれからで、そうなったらまた考え方も変わるかもしれんけど、少なくとも今、生きてて楽しい、そうやって子供に思わせる事が出来ているのが何より嬉しい。自分がそう思えなかったからこそ、ダメな親だけど、これだけは本当に嬉しい。

ヤバい書いてて感きわまってきちゃった。


案の定すっげー話それてます(笑)。何の話だよ。もう人質事件云々全く関係ない話になってるよ。
人はいつか死ぬし何によって死ぬかは誰にもわからない。理不尽な事もたくさんあるだろう。今の日本に生まれてきてるからこうのんきに書いてられるんであって、別の場所に生まれていたら食うもん一つに必死になってたかもしれんし、それどころかこの年まで生きてなかったかもしれない。
そう考えると世の中ってのは不平等が大前提なんな。
何かわからんや。
こんだけぐだぐだ書いてきて結論がわからんってどういうこっちゃ。
与えられた世界の中で生きるしかない、その中でどうやって生きるかはその人次第、ああ何て当たり前の事をもったいぶって書いてるんだか。
一生懸命生きてるとは言い難い毎日だけど、たまにふっとそう思えればいいのかなと、そうやって生きていけばいいかなって。




変な時間に目が覚めてその勢いで書いちゃったんで、あとで見て恥ずかしくなったら消します。
posted by シノブ at 05:57| Comment(0) | TrackBack(0) | はじめに・雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年07月08日

はじめに

自分が好きなものについて好きなようにただ垂れ流していくつもりです。
以前携帯HPでやっていた日記をカテゴリ別にまとめるのが当初の主目的なので、
かなり恥ずかしい昔のものも載せますが、その辺は流してやってくれると嬉しいです。
妙なテンションになってるものも多いですが、その時自分が感じたことを残すのがメインなので、それも流してくれるとありがたいです。
posted by シノブ at 15:16| Comment(0) | TrackBack(0) | はじめに・雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする