2016年12月03日

『聖の青春』@札幌シネマフロンティア

映画の日に『聖の青春』を見に行った。
夭逝した将棋の棋士、村山聖のノンフィクション小説を元にした映画。
原作は読んではいなかったが村山九段の事は知ってはいたので、彼の生き様を追ったものになっているのかと想像していたが、思っていた以上に将棋そのものが前面に出されていた。
ので、将棋や村山九段を全く知らない人だとわからない部分もあるのではないかとも思った。
ただ、単に事実を伝えるというより村山と羽生、二人の邂逅、将棋を通しての二人だけにわかりえた世界を描くことをを中心に据えていて、それは十分に伝わるものになっていたと思う。
その二人を演じた松山ケンイチと東出昌大、体型まで変え命を削った様を演じきった松山ケンイチは勿論、羽生という現存するレジェンドを演じた東出も凄かった。しぐさ等完全にそのもので、たまに本物に見える瞬間さえあった。二人による将棋を指す場面は何よりも張り詰めていて美しくもあった。

羽生現三冠の「時々怖くなる事があるんです」という台詞、インタビューか何かで読んだ記憶がある。
究極まで深く深く読むことで私たちには見えないものを見ているんだろう。そこにすべてをかけている棋士の人たちを私は尊敬している。
当時全盛期だった羽生は、あれから20年近くたった現在もまだ三冠を維持している。だが、名人は失冠し王将リーグも20数年ぶりに陥落し、ここのところ若手に負ける事も多くなってきている。
単なる不調なのか、それとも長かった「羽生世代」が終わろうとしているのか。

映画の中で村山から送られてきたアンケートの回答用紙の一つ上の設問が、「人間がコンピューターに負ける日は来るか」との問いだった。
村山の答えは「来ない」だった。
悲しいかなまともに対したらかなわないという現実を今将棋界はつきつけられていて、コンピューターとの付き合い方も変わってきている。
彼が「その日」を見ずに済んだのは、良かったのかもしれない。

ちょうど数か月前に東京に行った際千駄ヶ谷の将棋会館を見てきた事や、現在の羽生、コンピューターとの関係なども考えてしまい現実とのクロスオーバーで個人的によりリアルな物語として受け取らされた。
そしてギリギリの中で将棋を指している様はかっこいいと思わせてくれる映画でもあった。
現状いろんな問題はあるし過渡期だったりはするけれど、彼らの戦う世界をもっと見ていたい。

http://satoshi-movie.jp/
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2016年06月03日

『ヒメアノ〜ル』@ディノスシネマズ札幌

https://www.youtube.com/watch?v=bFgLQGyKn9I
V6森田剛主演『ヒメアノ〜ル』予告編 - YouTube

原作者の古谷実が好きなのと、かつて深夜ドラマで見て役者として気になっていた森田剛が連続殺人鬼役をやるという事で、色々調べてるうちに見に行きたくなってスガイディノスで見てきた。
私は事前に色々見てしまったが、絶対に前情報は入れないで見た方がいい。
もし気になった人がいたらこっから先は読まない方がいいかも。

原作の古谷実は好きだが、『ヒメアノ〜ル』は未読。でもこの作者の言おうとしてる事は大体毎回一緒なので、その前提で書く。

タイトルの入り方も先に知ってしまっていたが、やはり「ここから始まるんだ」とぞくぞくした。
前半のラブコメ部分の濱田岳とムロツヨシのやりとりは楽しかったが、それでも不穏な空気は最初から流れていた。
ムロツヨシも別な意味でやばい人ではあった(笑)。
きゃーって言いながら走り去るムロツヨシは古谷実漫画に出てくるキャラそのものだった(笑)。
あと女の子の微妙に血が通ってない感(異論はあるだろうけど)も古谷漫画らしかった。

森田正一役の森田剛はガサガサしてた。
これ以上ないってくらいパッサパサだった。
いやジャニには興味ないんすけどね、と言い訳しながら昔書いたブログ。
http://halash.seesaa.net/article/750624.html
『マシーン日記』という、舞台作品をテレビに落とし込んだドラマ。10年以上前。
その時森田剛はチンピラぽいつうか乱暴つうか育ち悪いというか、そんでかつナイーブそうな、そういうガキをやっていた。それを見て、こういう役にはなんてはまり役な人なんだろうと思った。
なので、今回「こういうのをやるのが見たかった」と思ったのが見に行った理由の一つなんだが、監督のインタビューなどを見るとやはりマシーン日記を見ていつか森田剛を使いたい、と思っていたそうだ。それだけあれはインパクトがあった。

その期待を裏切るどころかジャニーズだからとかどうのとかの戯言を一切挟ませない、澱み切った底にいる人間をスクリーンに存在させていた。
ただ連続殺人鬼というのはまた違っていたように思う。

原作とは違うらしいラストが本当によかった。救われるような話ではない。でもあれがあるのとないのとでは、物語自体が全く別なものとなっていた。
最後だけまた見返したい。

R15ということで暴力表現は容赦なかったが、怖いとかよりただひたすら悲しかった。
殺すことで何かカタルシスを得るわけではない。そこには何の感情もない。
ただ力任せに刺しまくるだけで、全くかっこよく描かれてはいなかった。
ラストを見た後は、ただただ悲しいという感情のみが残った。

恐らく原作では、森田は生まれながらにしてという苦悩があったのだろうが、映画の森田は後天という描かれ方をしていた。
でも原因がどうとかでなく、 「なんでこうなってしまったんだろう」感、うまく言葉で説明できないけど、そういう意味では一緒だったように思う。
園子温監督による『ヒミズ』は全く逆の話になっていた。
でも『ヒメアノ〜ル』は同じ方向だった。

本当に真っ白な状態でこの映画を見て感情を揺さぶられたかった。それでも最後には森田正一という人に対して、気持ちがもっていかれた。
posted by シノブ at 13:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月20日

『ヒミズ』@札幌シネマフロンティア

原作とは、全く別物の作品だった。
でも、それで良かったんだと思う。

『ヒミズ』公式サイト
http://himizu.gaga.ne.jp/

私はこの作品の原作の漫画が好き過ぎて、ちょっと過剰になりすぎるところがあるので、映画を見ていない人はここから先読んだらダメです。絶対ダメです。
冒頭からネタバレガンガンしまくります。映画と原作との話を錯綜させまくります。
園監督作品は初見です。なので、園作品としての感想は書けません。
暴力シーンは、さすがに痛々しかったです。友人によると、監督の作品にしては演出はわかりやすい方だったかもとのこと。

とりあえず、原作とは形は同じですが、違うものです。
原作読んでない人は、、読まずにまず見た方がいいかと思います。




ボート屋の外観と、住田の言葉集と、あといくつかのエピソード、そしてラスト直前付近が同じなだけで、違う作品だった。


最後は、あれでよかったんだ。
途中まで、正直震災を絡めた意味がわからなかった。

でも、最後のメッセージはそこに向けたものだったのね。

頑張れっていうのは、無責任な放り投げた言葉ではない。
泣いてでも人に頼れ。そこを乗り越えて生きていけ。頑張れというしかないんだ。
自分しか見えなくなっていて気付かないかもしれないけれど、周りにはたくさんいるだろう?

それが、実際被災した人たちへのよいメッセージとなるのかはわからない。

ヒミズという作品を使って伝えたかったのは、原作ヒミズのテーマとは別のものだった。

震災があって、ものを作る人で影響を受けなかった人はいないだろうしね。
途中はっきり主義主張が込められててそこだけ浮いてないかな?という気にはなってしまったけど。


主演の2人は、文字通り体当たりの演技だった。

大人たちは、原作漫画よりもゲスかった。原作の方は、「ダメな人」だったが、映画ではとことんゲスかった。あと母親がいなくなる辺りは原作の方がもっと生臭かった。


原作ものを見た時にはいつも思うことだが、何も知らない状態で見てみたかった。
そうしたら、伝えたいことももうちょっと素直に捉えられたかもしれない。
でも知らなかったら、住田の行動がちょっと唐突に感じてしまうかな?

本当はわかっている。どうしたらいいのか。
原作にはない、ヴィヨンの詩。自分以外の事は、全てわかっている。自分の事だけが、わかっていない。


住田は、原作よりも「普通の中学生」だった。
だから、どうしようもない環境への感情を爆発させていた。
原作とは少々方向が違っていたと思う。

原作の方では、さんざんしつこい程の自分はあくまで普通だ、と言い聞かせている様、そして得体の知れない「怪物」により、住田がただ単に不幸な環境に生まれて苦労したというだけではない事を示していた。

逃れられない「怪物」。
これが私がこの漫画を心の一冊としている最大の理由なのだけれども、映画ではこの部分はバッサリ切っていた。

クズな大人や、一見普通のようで内実抑制できない闇を抱えている人にも、見えては居ないがその怪物がいる。
ヒミズでなく『シガテラ』の方で、人を殺した後に急にそいつが見えてくる奴がいる。
うーん、書いててなんかちょっと違うかな。上手く説明出来ないな。
得体の知れない怪物ではなく、具体的なものを描くため、映画では茶沢さんの方にも住田にいれこむ背景として崩壊した家庭が描かれたのだろう。

あくまでこの2人の若者を描くために。怪物ではなく。

そういう意味では、正造はおっさんであるべくしてあったのかもしれない。
キイチや赤田を出すには時間が足りないし、「2人の若者」を描くには、少々邪魔になってしまうかもしれない。


これはあくまで私の原作の解釈だから、実際の作者の意図とは異なるかもしれないことは、前置きしておく。

住田は、クズから生まれた自分だが絶対お前らのようなクズにはならない、という意識でもって自分を保っていた。
父親を殺して以降の行動は、「そんな環境に対する復讐」でもあったと思う。
自首をして犯罪者になる、クズから生まれて同じようなクズになる事への抵抗。

見る前は、私が一番好きなシーンを入れてくれるかな?と思っていたけれど、それは不要なシーンなのでなかった。
怪物に向かって雪玉を投げるシーン。あそこが一番好き。
先ほど書いたように、怪物は不要な作品だったので。また、次に書くような瞬間を最後にのみもってくるために。

二番目に好きなシーンは、そのまま使われていた。そして原作同様、泣いた。
ラスト直前の、茶沢さんと2人で寝ながら将来のことを語る場面。
時々ふっと、「やれそうだ」と、「あぁ大丈夫なんだ」と思える瞬間はあるんだ。
それがこれらの場面。

でも、ふっと思える瞬間はあるんだけど、でもやっぱりダメなんだ。そいつは消えないんだよ。ダメなんだ。
っていうのが、私がこの漫画を好きな所以なので。

この作品はそっちの方向を描いてはいなかった。
というか、ぶっちゃけそっち方面は描いても何にもならないようには思う。でも私は好きなんだけどね。

なので、最後、住田が戻ってきた。それでいいんだ。


最後は、本当にドキドキした。園監督は、どちらを選ぶのか。
結果、これはこの選択しかなかったと思う。

結末は、原作の方が重い。けれど作品としては映画の方が、重い。だって生きていかなければいけないんだから。


十分に書ききれなくてもどかしい。書きながら何か違う気もしてきてしまう。明日読み返したら身もだえするかもしれないな。多分する。
しばらくおいて、また原作を読んでみよう。しばらくおいてから。
そしてまた映画のことを思い返し色々、考えてみよう。
posted by シノブ at 00:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月02日

アップサイド・ダウン@シアターキノ(2010年イギリス)

クリエイションレコーズの17年間に渡る歴史 ──

それは酒とドラッグ、
そしてロックンロールにまみれた男の冒険の物語であった。

http://www.udcrs.net/#


見に行ったのは去年の末で、しかも語れるほどのものは全くないんですが、一応見に行ったという記録のために書いておきます。

ジーザス&メリーチェイン、マイブラディヴァレンタインが好きだったからクリエイションの事は知っていたし、レーベルに対していいイメージも持っていたんだけど、それ以上は何も知らなかったので(オアシスやライドがクリエイションだってのすら知らなかった)、内容についてつっこんだ事は書けません、すみません。

このあたりをリアルタイムで追って聴いていた人なら、もっと鋭い考察や感想を書けるんだろうけど。当時のライブ、テレビ映像も豊富に使われていたし。
クリエイションに関わった多くの人、バンドへのインタビューもとても興味深かった。
作中、何度か「アランの言っている事の半分も彼らはわかっていなかっただろう」というような言い回しがあったが、私もこの作品の半分くらいしか堪能できていないだろう。
こういう時思いつきレベルでしか音楽聴いてきてない事がほんと悔やまれる。もったいない。


マイノリティを自覚するもの同士が出会い、音楽を通じて共有しあっていく様は、いつの時代どこでも普遍的なものなのだろうね。
一人のカリスマにより拾い上げられた多くのバンド。
ドラッグによる半分狂乱の日々。その中から生まれるあらたな波。
トップに立つバンドを出すという夢を見ていたのは嘘ではなかったのだろうが、それが自らの思い描いていた成功とは違うものだという事は、実際にそこに立ったバンド(=オアシス)を出して初めてわかる事だったのだろう。
そしてそこで一つの方向性は終わりを迎えた。

真の意味で最初から最後までインディであり続けた。
クリエイションつまりアラン・マッギーがレーベルの矜持、というと大げさかもしれないが、それを終焉という形により保てた事は、レーベルにとっても、ファンにとっても幸せだったのかもしれない。

こういうレーベルにスポットをあてたドキュメンタリーって、日本でもやってくれれば面白いのになぁ。
アルケミーなんてひいき目もあるかもしれないが、半端ない濃さの作品出来上がるんじゃないか。誰かやってないのかなぁ。すでにあるのかもしれないが。もしなかったら誰かお願いします。他人任せ(笑)。


私の人生における音楽的なターニング・ポイントというのはいくつかあるんだが、その中でも大きかったのは(向こう風の略し方は”ぶってる”気がしてあまりしたくないのだが、この作品に関しては使わせてもらう)間違いなくメリーチェイン、ヴァレンタインズだ。

轟音ギター好きは、確実にここから始まっています。
(あ、作中でシューゲイザーの語源に関して「そんな靴(shoe)ばかり凝視(gaze)してなかったよ」って反論してたわ(笑)。)
だから、私もある意味アラン・マッギーに拾い上げられた一人といっていいのかもしれない。


タイトルの由来である曲。オープニングから、フィードバックノイズギターが鳴り響いていた。

Jesus And Mary Chain - Upside Down



CAST

アラン・マッギー/ジョー・フォスター(共同経営者 / Slaughter Joe)
ノエル・ギャラガー(Oasis)/ボビー・ギレスピー(Primal Scream)
ジム・リード(The Jesus & Mary Chain)/ケヴィン・シールズ(My Bloody Valentine)
ノーマン・ブレイク(Teenage Fanclub)/グリフ・リーズ(Super Furry Animals)
アンディ・ベル(Ride、Oasis)/マーク・ガードナー(Ride)
ガイ・チャドウィック(The House Of Love)/ボブ・モールド(Hüsker Dü、Sugar)
アーヴィン・ウェルシュ(「トレインスポッティング」原作者)ほか多数


STAFF
監督・製作:ダニー・オコナー
製作:マーク・クランウェル
撮影:ダリル・チェイス
音楽監督:マーク・ガードナー
録音・音響:クリス・プロクター
ラベル:音楽 映画
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2011年11月14日

エッセンシャル・キリング(2010年ポーランド、ノルウェー、アイルランド、ハンガリー)@シアターキノ

これから色々感想とか読んでまわったら違うと訂正したくなってしまうかもしれないけど、とりあえず見た直後の感想。
感想でもないかも。思ったこと。
とりあえずチラシの「ノンストップ・アクション」という単語から感じられる爽快さはない。
もっと重苦しい、足を引きずる様が映画そのもののような。
essential=絶対必要な、本質の。
絶対必要な殺し。
アラーの教え?のようなものが途中で何度か挿入されてた。その言葉はなんだったかちょっと覚えてないけど、多分そんなような事だったかと。
主人公は逃げ延びるために殺しも辞さなかった。
それらは必要なものだったのかもしれないが、それで最後何か救われたのか。
ここの解釈は多分違うだろう、そんなやすっちい話ではないとは思うが。
最後は、主人公を乗せていた馬だけが静かに雪の中の草を食んでいた。
一緒に見た友人が「大自然の狼を追いかけているような」と言っていたが、真っ白な雪原、真っ白な馬に真っ赤な血を散らし雪の中をはいずり歩く様を上空から大きく追っているのは、確かにそのようだと思った。

解釈は的外れかもしれないけど、ヴィンセント・ギャロがすごかったというのだけは確実に言える。
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2008年11月17日

懐かしの映画ポスター展@JRタワー東コンコース

日曜日に所用があって札幌駅に行ったら、「懐かしの映画ポスター展」てのをJRタワー入り口らへんでやっておりました。

http://www.jr-tower.com/info/1225/

昔の洋画のポスターがたくさん展示されていて、映画通でなくともそのレトロな味わいだけでも結構楽しめました。

「総天然色」なんて謳い文句が書かれていたりなど相当古い作品も多く、かなりインパクト大のものも多々。
それらについて写真入りで「これかっけー」なんてブログにしたかったんだが、パネルの前で携帯を構えてパシャパシャやる根性はありませんでした。
有名な映画だったら家帰ってからパソコンで調べれば画像いくらでも出てくるだろ−、なんて気軽に考えてたんですが、いざ探してみたらこれがなかなか使えるものは見つからないのね。
人のブログやHPの画像を勝手に借りてくるわけにもいかないし、DVDなんかのジャケットはポスターとはまた違ったりして。
恥ずかしがらずに撮ってくれば良かった・・・。

そんな訳で正直テンションだだ下がりですが、せっかく見たので気になったポスターの映画タイトルだけでもあげておきます。
しかし横に画像なかったら何がよかったのかとかちっともわからんよな・・・


一番興味をひかれたのが、「彗星に乗って」という映画。
カレル・ゼマンというチェコのアニメーション作家の映画らしいのだが(原作はジュール・ヴェルヌ)、ポスターの絵柄がいっちゃった人の絵みたいでインパクトありすぎ。
画像はこのページの真ん中らへんにあります。
http://www.geocities.jp/planetnekonta2/hanasi/eiga/eiga.html
この作者の作品は他のものも何だか怪しい雰囲気で非常に気になります。「幻想の魔術師」という枕詞がつけられているようです。
カレル・ゼマンで画像検索した結果。
http://images.google.co.jp/images?q=%E3%82%AB%E3%83%AC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%BC%E3%83%9E%E3%83%B3&ie=UTF-8&oe=utf-8&rls=com.ubuntu:en-US:unofficial&client=firefox-a&um=1&sa=N&tab=wi
怪しい存在感みたいなものは伝わるかなと。

「死の追跡」
http://oga.tblog.jp/?eid=170621
男二人が渋い。

同じ男二人でも
「お前と俺」
こちらはギャグ漫画に出てくる外人さんのステレオタイプみたいな胸毛が別な意味で素敵。
画像直リンクはいけないかもしれないが該当ページから画像探すのちょっと大変なのですいませんが直リン。
http://www.lombardi.jp/images/omae.jpg
http://www.lombardi.jp/stevemcqueen.html
このページにあったものです。
いかにも昔然とした書体なんかもノスタルジーを誘うのだと思います。

「エマニエル夫人」って何か勝手なイメージでおばちゃんだと思ってたんだがあんなエロかったのね。今でも十分エロい。
「続」てのもあるみたいだがそのポスターもまたエロい。
アマゾンにあったサウンドトラックとポスターはたぶん一緒だと思われるのでリンク。
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%A8%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%82%A8%E3%83%AB%E5%A4%AB%E4%BA%BA-%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%A9/dp/B000LZ53K6

こちらもちょいエロス「人間解剖」
http://kipple.blog.so-net.ne.jp/2007-01-13
人間の悪趣味全開映画なんでしょうか。

雰囲気がすごく好きなポスター。
「白い家の少女」
http://www.amazon.co.jp/%E7%99%BD%E3%81%84%E5%AE%B6%E3%81%AE%E5%B0%91%E5%A5%B3-%E3%83%8B%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%82%B9%E3%83%8D%E3%83%BC%E3%83%AB/dp/B001BBANFE/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=dvd&qid=1226923521&sr=1-1
ってジョディフォスターやん。おいらが無知で知らんだけでおもいっきし有名ヤツなのか。

「メキシコ万歳」
http://info.movies.yahoo.co.jp/detail/tymv/id23280
どういう映画なのかはよくわかりませんが何かただならぬ感じだけは受けとりました。

超有名どころでチャップリンの「モダンタイムス」「街の灯」のポスターもありました。
http://www.cineb.net/shop/catalog/product_info.php/manufacturers_id/13/products_id/16546?osCsid=d3c602a919140886df8b51fb740bb682
http://www.cineb.net/shop/catalog/product_info.php/products_id/16567?osCsid=d3c602a919140886df8b51fb740bb682
チャップリン映画は一つも見たことないんだけど、おしゃれだなあと。

これも超有名どころだが、やはりかっこいい。
「荒野の七人」
http://samurai7.exblog.jp/1890108
古い映画のポスターはイラストテイストなのもいいよね。

このように映画カテゴリ作ってる癖に超有名作品も全く見ていなく、今回紹介するものもことごとく見たことないものばかりなのですが、唯一見た事あるのが、
「タクシードライバー」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%90%E3%83%BC_(%E6%98%A0%E7%94%BB)
当時つきあっていたヤツが私に見せたいというのでビデオを借りて一緒に見たのだが、前の日寝不足だったのもあって途中で寝てしまいました・・・
たぶん彼同様この映画が心の一本だと言う人も多くいるかと思います。すみません。機会があればちゃんと見てみますんで。

「夜と霧」
http://www.amazon.co.jp/%E5%A4%9C%E3%81%A8%E9%9C%A7-%E3%83%89%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%83%BC%E6%98%A0%E7%94%BB/dp/B0009J8JHI
こんなんばっか好きですいません。でも気になっちゃうやん。

「豚小屋」
http://calamel.jp/%E8%B1%9A%E5%B0%8F%E5%B1%8B%E3%80%82%E3%80%82%E3%80%82%E3%83%94%E3%82%A8%E3%83%AD%E3%83%BB%E3%83%91%E3%82%AA%E3%83%AD%E3%83%BB%E3%83%91%E3%82%BE%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%8B%E7%9B%A3%E7%9D%A3%E3%80%82%E3%80%82%E3%80%82%E6%98%A0%E7%94%BB%E2%80%A6/item/9540418
これも気になるなという方が無理じゃないっすか。

ピンクフロイドの 「ザ・ウォール」のポスターもインパクト大。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%83%89_%E3%82%B6%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%AB
これ見ながら思ったんだが、「邦題」て重要よねーと。ピンクフロイドまともに聴いた事ないけど、「原子心母」てすげーなと思うもの。
あまりにセンスナッシングなものつけられるくらいなら原題そのままの方がいいんだろうけど、英語をカタカナにしたものって日本人には覚えづらくないすか。「インファナルアフェア」とかわけわかんねえ。ってこれ今たまたま思いついた例なんだけど、正式なタイトルを確認するためにgoogleさん検索してみたらこの邦題に不満持ってる人いっぱいいた(笑)。みな同じように思ってるものなのね。

他には画像とか見っけらんなかったんだけど、「サン・スーシの女」とか「普通の人々」とか「銭の罠」なんてのもひかれました。どういうポスターだったかもう覚えてないけど(笑)。

懸念どおり映画ポスター云々じゃなく単なる「気になる映画紹介」になってしまいました。
しかしカレル・ゼマンはすげー気になったからせめて一度は見てみたいです。

このポスター展見てみたいなーと思った人はすみません、これ19日までだそうです。映画お好きな方、気になる方は間に合えばぜひ。

最後に、いろんなブログやらのリンクとかたくさんはってしまいましたが、検索やアク解等でこちらにたどり着いたブログ主さんらで「ちょっと勝手に使わないでくれよ」というような抗議等ありましたら、右のメールまでご連絡いただけたら対処します。
まあそんな影響力のあるブログではないですが。
posted by シノブ at 23:47| Comment(3) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月24日

シアターキノ受付ボランティア募集

http://theaterkino.net/topic/topics.cgi#6237012bc669d13ac5443923690867af
8/17掲載分


====================================
シアターキノ受付ボランティア募集中
シアターキノ受け付けボランティアを募集しています。

●毎週一回4時間〜5時間で、決めた曜日とローテーション(下記を参照して下さい)の時間に手伝える方にかぎります。また、一年ぐらいは出来るようにお願いします。
★一日のローテーションは、3交代で以下のどれかになります。
@朝の準備〜13:30まで
A13:30〜18:00まで
B18:00〜ラストの片付けまで

高校生以下および、18才以下はご遠慮下さい。

●無償ですが、シアターキノでの上映作品は無料で見ることができます。ただし、一回限りの限定上映や、ゲストを招いてのプレミア上映等は、除きます。また、入場はお客様が入ってから、始まるぎりぎりまでまっての入場なので、満席の時などは、見れなくなる時もあります。
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超々々々(略)やりてぇぇぇ。


ってそんなにやりたいならやればいいじゃないですかってだけの話なんですけど、

やりたい<<<<<めんどくさい

な人なもんで。

それはやりたいと言うのか。めんどくさいんじゃん。
『シアターキノでの上映作品は無料で見ることができます』てのに超ひかれる。
日曜の朝なら通常の仕事に影響出る事もないかなぁとか思っちゃうんですけどどうでしょうか。いやそう言うならやれって。


あ、シアターキノってのは狸小路6丁目にある映画館です。
http://theaterkino.net/
もうモロ私のド好みの映画ばかり数多く上映してくれる場所でして、私の映画ライフの8割はここにより形作られています。
ここ以外の映画館に行くのは子供を連れて特定の作品を見に行く時とかぐらいで、あえて他の映画館に行くことはまずないです。そんくらい好き。


つうても自分がそんなに映画好きなのかと問われると、実際そうでもなかったりしてしまうんだけれども。
そもそもそんなに映画自体見に行ってはいないし。
好みとか語れるほど本数を見てない。
(ここのブログにも映画カテゴリを設けてはいますが、サンプル少なくて好み云々判断出来るようなラインナップではないと思われます)

映画好きな人ってのは、多分家でも暇あればDVD借りてきて見たりするような人を指すと思うんだが、家で2時間黙って映画を見る事ってほとんどない。
ネットやらマンガやら読んでダラダラ過ごす2時間は平気な癖に、テレビに2時間かじりついていけないと思うとどうも腰が重くなってしまうというのもあるのですよ。
見るのに気合を必要としてしまうというか。
「その間一切他の事はしてはいけない」という脅迫観念があるのかもしれない。
テレビで放送される映画を見るときも、ついつい携帯やパソコンいじったりし始めてしまう。
見始めておもしろければ普通に見るんだけどね。見始めるまでの敷居がちょっと高い。

なので、映画を見るなら映画館で集中して見たいタイプです。

その癖そんなに見に行ってないのだから、映画を好きだと言う資格はあんまないです。


でもいっぱい見たいという気持ちはある。
あんまり見てないから、良し悪しとか全然わからないしね。
映画とか人によってどうとでも受け取れるものに良いも悪いもないかもしれないけど。
一番重要なのは「自分が好きかどうか」だしね。
ただ、まず見ない事にはどんなもんが好きかとかもわからんしさ。

だからこうやっていろんな作品を見れる機会があるのはちょっといいなぁなんて思ってしまったのですよ。お金出して見に行くとなるとどうしても偏ってしまうので。


今の自分の身分としては、金にならんボランティアとかやってる場合ではないんだけれども。そんなのはもっと余裕のある人か、もしくはもっと映画に情熱のある人がするべきだろうとは思う。
でも別にボランティアをしてなくても、その時間お金になる事をしているかっていうと、別に何もしてない訳で。お金を生み出していないという点では全く同じ。(まぁ実際やるとなると交通費だなんだで出費はあるが)

だったらやってみてもいいんじゃないかなぁと考えたりするんだが、いかんせん「やってみたいなー」というのと「やる気」というのとは全く別物でね・・・(笑)。

やってみたいけど、「最低でも一年くらい出来る人」と言われると、途端に自信がなくなってきてしまったり。
あと一番大きいのは、「知らない人がいるところに行くのが苦手」という、社会人として致命的な欠陥があるのですよ(笑)。
よくそれで派遣の仕事とか出来たもんだ。
いや別に怖い人がいるとか思ってる訳ではないんですけどね(笑)。行くまでの間ってのがすごくドキドキしてしまって、しまいには投げだしたくなってしまうのよ。普通の仕事の面接とかでもそうなんだけどさ。
そんな障壁もあって、九分九厘「やりたいなー」と言ってるだけで終わると思います(笑)。



現在キノで上映されている作品の中
では(これからのものも含む)、「いまここにある風景」や「ジェリーフィッシュ」、「赤い風船」とかが気になります。あとオダジョー好きとか言っときながら彼の映画はほとんど見てないので、「たみおのしあわせ」とか。

でもこれらはあくまで、私が今まで好きだと感じたものと比べて「自分が好きそうなもの」をチョイスしているのであって、実際にはもっと違うものを良いと思い、好きになるかもしれない。というか、多分そういうものの方が多いはず。


今の私は、「一番好きな映画は?」という問いに対する答えを持っていない。

見て面白かったなー、良かったなーと思った作品はたくさんあるけど、「一番」というものにはまだ出会ってない(もしかしたら今まで見た作品の中にあるかもしれないけど)。
いろんな映画が見たい。生活が安定して子供も手かからなくなったら、月一くらいで映画行く日をもうけて見に行ったりしてみたい。
あたりはずれもあるだろう。でもその中で好きだと思える作品に出会えたら、幸せだ。
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2008年01月12日

チャーリーとチョコレート工場(05年アメリカ)

先入観で映画を観るか観ないか決めちゃいかんなといたく反省した次第であります。
いやでもこれ日本公開時のプロモーション間違ってなかったか?CMくらいでしか情報を仕入れるすべのなかった私なんか、てっきりお子様向けほのぼのファンタジーものだと思ってたもん。
こんなイカれた映画だって全く想像もしてへんかったよ。そこアピールしてくれてたら私も食いついてたのに。
少数派である私みたいな層より、もっと多くの子供たち(と親)を取り込むためにそういう路線をとったのかもしれないが、逆にファミリー映画だと思って観に行った人たちはこれ観て腰抜かさんかったんか。
監督のことや、内容について突っ込んで調べればおのずとわかることではあったかもしれないが、まずそこに辿り着く前の段階で私なんかもう自分には縁のないものだと判断しちゃってたもんさ。

いい意味で裏切られた、素敵に狂った映画だった。
最初はどこともわからない街がキレイだなあとか変なとこ金かけてんなあとか、そんなことを思うくらいだったんだけど、工場が開いた時踊る人形があまりに恐く、そこでちょっと疑念がもたげ、直後その人形が焼けただれた絵を観て完璧理解した。ほのぼのファンタジーなんかじゃねえと。
下手なホラーより恐い場面が多々ありましたよ。子供トラウマなんねーかくらいの。
ジョニーデップもいっちゃった人だったし。
でも昔の童話やおとぎ話なんてこんなものだったよなあ。理不尽満載で、残酷で、救いがなくて。日本の昔話にだってそんなのがいっぱいあった。
この原作や前回の映画化ではどうだったのかは知らないけど、そういう意味では子供が観る映画として間違ってないと思います。
最終的にはいいお話としてまとめられていたし。
オチも良かったしね。
あちらの俳優さん女優さんを全く知らない私にしたら、ジョニーデップも「最近めざましテレビで毎日のように取り上げられるなあ」くらいの人だったんだけど、この映画のこの人は表情がころっころ変わって、面白い俳優さんだなあと思いましたよ。今更ジョニーデップの事をそんな風に評する人もないでしょうが。

私は普段映画をそんなにしょっちゅう観に行けないので、たまに行くとなるとどうしてもハリウッドものや大作・話題作なんかは敬遠してしまう傾向にあるのだけど(どうせ世間の話題についていけてないのだから、自らついていく必要はないと考えてしまう)、そんないわゆる中二病みたいな感性のせいで損してることがいっぱいあるんだろうなあとは思う。
この映画も劇場公開時は全く興味が沸かなかったんだが、けれどテレビでやるなら子供らに観せてみたいなあと思ったのでついでに自分も一緒にながら見してみた。そしたら、はまってしまった。
自分は映画より好みする癖に、子供にはいろんな映画を観てもらいたいなあという勝手な希望があったりするもので(笑)。でも映画でもなんでも、まず触れてみないことには良し悪しもわからんじゃないさ。
なもんでテレビでやってる映画は子供らが反応する限り結構観せてて(前日も酔拳2観た)、下手したらいわゆる名の通った映画は私より子供の方が多く観ているかもしれない。
そんな子供らはこの映画をとても楽しんで観ていました。そしてそれと同時に、著名な作品の見ず嫌いはいかんよなあと私にあらためて思わせてくれた映画でもありました。
posted by シノブ at 23:45| Comment(6) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月07日

フラガール(06年日本)

最後のダンスのシーンは明るいシーンで、踊っているみんなも笑顔だったのに、涙がぶわっと出てきて仕方なかった。
こんな寂しい時代・地方の物語だったなんて知らなかった。
それまでのもの寂しさがあったからこそ、最後の場面が映えて、泣けた。

もうベッタベタの今さらのど真中の感想で申し訳ないけど、蒼井優がもうもうもうもうああああああかわいいいいいいい。どっちかったらちょっと垢抜けない感じがまた訛りでいっそうかわいく感じられてそんで最後は綺麗ですらあった。綺麗だった。あああ蒼井優かわいい。あああ(しつこい)
彼女はこの映画で絶賛されてその名を世に知らしめた訳だけど、そりゃこんなんみたら誰だってそう思うわ。何なんだろうあの子の魅力は。
実は「世界一受けたい授業」をぼーっと見てて最初の1時間近く見逃しちゃってたんだよね。で、どうしようかなーと思ってたんだけど途中からでも見てよかったー。
見たらちょうど友人?が父親に暴力振るわれるシーンだった。
最初に書いたように、私この映画もっと爽やかな、楽しげな映画だと思ってたんだよね。
だからいきなりのぼろぼろの家とドメスティックバイオレンスにびびった。
田舎の、貧しい町ゆえの嫌な部分、悲しさもたくさん描かれていた。ずっと薄暗いトーンの映像だった。
それが最後はあの極彩色のステージにつながる。だから、泣けた。

お話的にはオーソドックスなストーリーではあったけど、暗い炭鉱の町を明るくしようとする人たちの思いは伝わってきた。暗く火が消えかけた町だからこそ、彼女たちが必要だったんだよね。
ラストで、この映画は実際にあった話を元にしたものだというテロップが出る。炭鉱はふさがれ、町も変わってしまったけれどもあの場所はまだ残っていて、松雪泰子の演じた先生も健在でフラダンスを教え続けているとの事。
蒼井優だけ名をあげたけれども、先生役の松雪泰子も単なる話題作りのキャストかと思ってたしずちゃんも、岸辺一徳も豊川悦司もあとほか名前のわからない役者さんたちもみな良かった。
何かを興そうとする時の熱気、避けられない衝突、当人たちの葛藤。一つ一つのシーンが丁寧に描かれていて、素直に涙腺をゆるませることが出来た。
DVDのプレゼント、思わず宛先メモっちゃったよ。
そんでやっぱり蒼井優。いいね蒼井優。
ラベル:蒼井優 邦画
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2007年08月10日

明日、君がいない(06年オーストラリア)@シアターキノ

いいもん見た。あーいいもん見た。
これから見ようと思ってる人がいたら困るので詳しくはふれないが、よかった。つうかこれから見るっつったって、札幌のシアターキノでは金曜日までだし他の地域ではあらかた終わってるっぽいし、もしDVD出たら見るって人くらいしかいないかもしれないけど、でも万が一そういう人がいたとしてその人に変な先入観みたいなものを持たせたくないので具体的には書きたくない。

一応公式サイトははっておく。公式で出ている部分は製作側も先に匂わせてもいい部分ということだろうから。
明日、君がいない
http://www.kimigainai.com/
公式サイトはストーリー等ちょっと饒舌すぎるな(笑)。まあそこはわかっても別に問題ない部分だからいいんだろうけど。

10代の痛みを10代の監督がとった映画。たぶんそれだけでも話題性的には十分ではあるし、私もそれなりに満足したとは思う。
大体が元々見ようと思ったのは別の映画で予告を見た際に「痛そうな映画だー」と思ってそれを期待して、だったからね。
その期待は一応は間違っていなかった。

途中まではあーあるねーこういうのあるねー、演出も面白いねー、てな感じで、期待の範疇のものだった。
そしてストーリーが進み、演出も構成も、全てが言わんとしていた主題に繋がるとわかった瞬間。瞬間というか、ひょっとしてこれはこういうことなのか?と気づいてからラストまで。あ、これはすごい、と思った。
こういうテーマを扱った作品は古今東西あまたあれど、映画「自体」でそれを表現出来ているのはなかなかないんではなかろうかと思う。

なんつーかすんごく奥歯にもの挟みまくりな感想だよね(笑)。すいません。
見る際には出来るだけあんまうがちずに出来るだけフラットな状態で見て欲しいんだよね。そして自分で気づいて欲しい。なんて言えば言うほど見る時に構えちゃうよね。うーんジレンマ。言いたい事はいっぱいあるんだけどなー。
うまく伝える事が全然出来なくてもどかしいけど、いい映画だったよ。すごく。
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2007年07月22日

時をかける少女(06年日本)

バカで一生懸命になれることこそが青春だ。
映画の趣旨からズレてっかもしれんし出来とかそういうのはわからん。
まことはバカだけど、一生懸命だった。
最後は結局ちあきは帰っちゃうし気持ちもはっきり言葉にはしなかったけど、それで良かったんだ。
他人はもちろん自分の気持ちですら完全にわかることなんて出来ないし、どうやったら最良かなんてその時点の誰も知りはしない。
だけどその事柄にたいして真摯に向かい合ったかどうか、それが出来たか出来なかったかで、青春の充実加減は違ってくる。
単なる青春映画ではないかもしれんけど、とりあえずの感想としてはそこをピックアップしておく。
私はどちらかと言えば「出来なかった」方だ。だからかこの映画を見ていて、大泣きするとかはなかったが終始涙腺の奥の方が熱くなっていた。自分がして来なかったという損失感よりも、ああこういう感じってやっぱりいいよなあ、という青春賛美に近いものだ。
誰のためにも止まってくれない、常に失われていく「時」の中で生きる、そして人は未来に進んでいく。
ラベル:アニメ 邦画
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2007年06月29日

アンテナ(03年日本)@シアターキノ15周年記念加瀬亮映画祭

最近加瀬亮が何か気になるんだよね、て知人に言ったら「あぁ絶対好きだろうなと思った」て言われた。なぜ。私の好みはそんなにわかりやすいか。

でも最初はどうとも思ってなかったんだよね。むしろ逆なくらいで。
映画とかよく見る人じゃないから、加瀬亮自体知ったのがごく最近だし。周防監督の痴漢冤罪映画まで普通にほとんど知らなかったですし。
そんでその宣伝でめざましTVに出てた時に、「プロモーションとか何でやんなきゃいけないのかわかんない。事前に内容知らせるなんて無粋」とかみたいな事を言っててね。
そん時は「いやみんなその葛藤を越えた上で見てもらわないことには仕方がない、とやってるのであって、それを否定するのってどうよ」とあんまよく思わなかったのね。映画メインのいかにもな役者さんぽい感じもしてたし。
それが何でこうなったのかはわからないけど、たまたま何かで見た写真に見惚れていた自分がいたのよ。

今となってはどの写真がきっかけになったのかは忘れてしまったけれど(といってもほんの数週間前の話だが)、思わずネットで画像とか探してみたりしちゃって、写真によって全然違うなあなんて思ったりして。写りようによっては筒井道隆に似てるように見えたり(ちなみに筒井道隆好きです)グレイプバインのボーカルの人に見えたり。実際には似てないのかもしれないけどね。
中に時々、すんごい自分がぐっとクる写真があったりした。
だから自分がこの人のどこの部分にひかれてるのかはまだ自分でもイマイチつかめていない。
でも何となく気にかかると思っていたら、このタイミングでシアターキノで加瀬亮フィーチャーなんかやってんの。行けといわんばかりのタイミングですわ。なもんで行ったさ。
前森田剛が気になった時もちょうどV6の10周年でイベントやTVでまくりのタイミングだったなあそういや。


一緒に見に行った人は2年位前から加瀬亮が好きで、このキノの企画の一環である先日行なわれたトークライブにも行ってて、質問採用されて直接しゃべったと自慢された(笑)。
すごく誠実な感じで、質問に対して言葉を選び選び丁寧に返してくれたと言っていた。
その人に加瀬亮の写真集も見せてもらった。
本人による文も入っていて文は読むまで至らなかったんだけど、この写真がまたすんげーいいの。雰囲気のある写真というか。
撮っているのはホンマタカシなんだが、やっぱ写真家の人はすげえと思ったよ。もちろん被写体の持っているものも重要なんだろうけど。
顔が全部写ってない写真ですらいい。多分この写真集に出ているようなものに私はやられたんだと思う。


映画の方は、事前に見た作品紹介では「痛み」を強調してたのでもっと映像とかもバイオレンス風味なのかと勝手に予想してたんだが、意外とオーソドックスな感じだった。
アンテナで受け取るとかSMとか自傷とか少年の女装とか全裸自慰とか要素は結構ベタ気味だった。ベタな全裸自慰とかあるのか知りませんが。
そういう一見倒錯な面も多々あったのだが、場面場面の構図がいちいちバランスよく写真的で、それによって見ていて変な不安感というのはあまりなかった。
うまく言えないんだけど、画面手前にもの、左奥に窓、真ん中左よりに人とかそういう安定した画面が長く続いて、話を追うというよりその構図を見ている感じになるというか。
ロングショットや上から見た絵もよく使われていて、そういうフレームを通した画面というものが意識されているように感じた。

熊切監督の作品というのは初めて見たのだが、他の作品も同様なのか。それとも要素要素が先に書いたようにベタなので逆にあえてそうしたんだろうか。
今熊切監督の関わった作品を調べてみたんだが、「青春☆金属バット」とか「鬼畜大宴会」とかいかにもカルト的なタイトルが並んでいた。聞いたことはあるけどどれも見たことないや。
機会があったら他の作品も見てみたいな。
原作田口ランディだったのは知らなかったんだけど、見終わった後で知ってちょっと納得した。田口ランディ読んだことはないんだが。
台詞の唐突さ加減(突然核心をつく抽象的な台詞をはくっていうんですかね)とかが作家っぽいというか。

作品の言わんとしてるところとしては、忘れられないものは忘れられないものとして己の中で割り切らなければいけないということなのかな。
ちょっと違うか。

加瀬亮は繊細丸出し的な役柄だった。映画の中で出さねばならないものを出し切ってる感じでああ、すごいなあと思った。
他ではどういう部分を見せてくれるのか、まだまだ私はこの人を把握し切れていないのでもっと色々見なくっちゃ、そう思った。
どうしても加瀬亮メインで見てしまっていたけど少年役の子もよかったよ。


映画はたまにしか見に行けないけど、それが諸手を挙げて絶賛するようなものでなくとも「映画を見に行く」という行為自体がまず楽しいよね。
予告で見た「明日、君がいない」という映画、フライヤー等ではぱっと見普通の恋愛映画かと思ってスルーしてしまっていたんだが、それこそ全編10代の痛み爆発みたいな映画で気になってしまった。
次は何見に行こうかな。




最後にこっそり書いとくと、加瀬亮の喉仏は非常にエロかったです。
posted by シノブ at 11:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月25日

鉄コン筋クリート@札幌シネマフロンティア

張り切って初日に見に行ったのに今更感想。時々文章を書くことが苦痛になることがあって、そうなると何も書けなくなっちゃう。
これから見に行こうと思ってるけどどんな出来か心配、そんな人のために書きたかったけど、もう大抵の人は見に行っちゃってるよね。
でももし、まだ見てなくて、どうしようかなぁと思っている人がいれば一言だけ。

「シロ見てたら泣けてきちゃう人なら、全く心配いらない」。


ほんとはもっとたくさん思うところあっていっぱい書きたいことあったんだけど、日をおくとダメやね。わかりきってることなんだけど。

鉄コン、すんげー大好きで自分の中でもかなり特別な漫画なのに。
松本大洋の漫画はすごい好きだ。
だから私も最初は不安ばっかが先行してたし、実際CM流れてるの見て、
「絵が変ーーーーー」
「シロが女の子みたいだうへぇ」
「声芸能人ばっかかよ・・・」
公式サイト、宝町探検って子供向けっぽくしてるけどそんな漫画じゃないだろうがよー」
だもんで、最低限「核」さえ守ってればそれで満足しよう。
とハードルをぐっと下げてのぞんだんだけど、見てみたら同じだったってわかった。
公式サイトの頑張りようは、この漫画が本当に好きで多くの人に見てもらいたいという純粋な気持ちによるものだったのだと見終わった今ならわかる。
見る側の自分も作っている側も、この漫画から何かしらのものを受け、そして大好きなのだという点で同じだと何より感じたよ。

松本大洋という作家の特性上、カルト的な作品に仕上げるのが一番それらしいと思われがちだけど、彼が言わんとしてる事はとても普遍的なものばっかりだったりするんだよね。変わっていってしまうものへの郷愁。相対する裏と表。男という馬鹿な生き物。子供。
(勿論サブカル視点で扱うこと自体は否定しない、そういう面もあるのがこの漫画だ)
だから公式サイトの方向性もわからなくはない。
そして自分もそんな松本大洋の作品が好きだ。

基本的にはほとんど漫画の内容通りなんだけど、勿論漫画との相違点はいっぱいあった。
クロの「暴力性」やシロの悪ガキっぽさは多少抑えられてたし、沢田の「ピストル撃ちたい」もなかった。
藤村のおっさんはもうちょっとシブい。
りんごの芽。
何より元が白と黒の世界の漫画がフルカラーにされただけであんなにもイメージは変わるのか。
でも「主題だけいただいて映画は別物」というアプローチでもなかった。
しいて言うなら、「映画版鉄コン筋クリート」だ。
何を当り前のことを、と言われそうだけど、それ以外うまい言いよう思いつかないんだよね。
鉄コン筋クリートという作品を、映画で表現した。漫画を、ではなくて。
わかりづらいけど、そんな感じ。わかんないか。

微妙に暴力性は薄められてはいたが(それでも結構あったけどね)、最後の「イタチ」との葛藤の場面は下手すりゃ子供なんかはトラウマになりかねんような映像を使ってた。
ドラッグや、首をつっている絵など(はっきり描かれてたわけじゃないが)、イタチの世界はかなり力をいれて描かれていた。
前にいた女の子はこのシーンから最後にかけてを「よくわからなかった」と言っていた。
実はうちの子供たちもいつもの親のエゴで連れて行っていたので、あの場面意味わかったか聞いてみたら「わかった」とは言ってたが、本当に理解してたかは定かではない。

闇があってこその光、またその逆。
闇を抱えたまま、生きる。


もうだいぶ日がたっちゃったから、言いたかったところの何分の一も言えてない。
まだ思ったことはもっといっぱいあったはずだ。
多くの感傷はとっくにこぼれ落ちてしまった後だ。
だけどこれだけは忘れず言っておかないといけない。
蒼井優。
「もちもーち、こちらシロ隊員」
シロが声を発した瞬間、私の涙腺は一気に崩壊した。つまり、最初っから泣いていた。
CMで見た時は「あ、意外にうまくて悪くないな」だったんだけど、もうキャスティングした人は何をどう見て彼女に決めたのか、聞き出したいくらい、素晴らしいキャスティングだった。あの子すごいね。
他も一癖二癖ある芸能人が使われてたけど、それで引っ掛かりを感じることは一切なかった。


シロはその存在だけで泣けてくる。
子供は「わかっている」。
実際には現実の子供なんてものはただの「小さい大人」でしかなかったりするから、松本大洋の描く子供はファンタジーの世界の中のものではある。
でも、自分が子供をもってみて初めて、「あぁ、この子は私が思っている以上に『わかっている』んだなぁ」と感じさせられることが多々あったりする。
普段はそんな思わないんだけどね、ふっとした瞬間に。
ちょっと親バカ話になるんだけど、うちの下の子供はもう小学校5年になるんだけど、ほんとシロにそっくりなのよ。
いっつも「うんこー」とか言ってるし、すぐ変な歌歌いだすし。
クロがシロに歯磨いたか?って聞いた時にシロがほんとは磨いてないのに「磨いたもんねー、バッカじゃねーの」て答える場面、あれと全く同じことを下の子が言ってた時には思わず噴いた。そんで松本大洋すげーと思った。たぶんこの漫画連載時点ではまだ結婚してなかったよね?子供いなかったとして何でこんなリアルな子供を描けるんだ。
でね、うちの子は当然シロみたいに「全てわかっている」子ではないわけよ。まぁあれはあくまである種の「理想の子供」だからね、と。
でもさ、時々思わされることがあるんだよね。
真実をつくとか、悟ったような顔をするとかそういうんではなくて。
私が彼らを理解しているつもり以上のことを子供は考えいて、それは大人には考えることの出来ないものであって、大人が見えないものも、子供は「見えている」。
歳を経て、それらを系統立ててとらえることが出来る時にはすでにそれは「見えなくなってしまっている」んだと思う。
悲しい事と受けとるか、成長ととるか。

余談になるけど、同じ松本大洋の「GO GO モンスター」、これも子供を扱った作品ですごく好きな漫画なんだけど、あのラストで笑顔で自転車を走らせる子供らは「見えなくなった」あとだと思っている。
でもそれは悲観すべきものではない。
作者の真意はわからないけど、私は勝手にそうとっている。
posted by シノブ at 15:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月28日

ホールドアップダウン@ワーナー・マイカル・シネマズ小樽

子供連れて見に行っちゃうってもうマジもんだよね。しかもわざわざ札幌じゃ見れるとこないからって電車40分くらい乗ってまで。
もうね、いい加減あがくのはやめろと。往生際が悪いぞと。お前は立派なV6ファンだよと。
うん、それはもう完全に言い切るよ。そこに関してはもう認めます。何かね。みんな好きだわ。確信させられにいった感じだわ。

でも行く道中はね、電車途中海沿いをずーっと走っててしばらく停車駅もなくってさ、「これちょっとした小旅行じゃん」とか思っちゃって、我ながら何をしてるんだろう・・・という気になっちゃったけどね(笑)。子供は「海だ海だー」喜んでたけど。

同じ劇場内でハリーポッターもやってたから子供がそっち見たいとか言い出さないかと心配だったんだが杞憂だった。
ああいうのはいつも「どうせTVでやるから」とかさんざん言い含めてたからか。
客はね、中学生くらいの女の子が多かった。ちょっとオシャレ気なカップルもいたですよ。
今私は若い子と接する機会ってのが全然ないんでわかんないんですけど、今V6ってどういう位置なんでしょうね?
少なくとも旬のものみたく熱狂的にきゃーきゃー言われてるアレではないんだろうかとは思っちゃったりするけれども。
でもネット見て回ったらファンの人いっぱいいるしさ、ってか自分のブログにこのネタ書くようになってからV6とか森田剛で検索してくる人が今までの総数よりも多いくらいで、あぁやっぱりジャニーズの人気グループなんだなぁと思ったりしてさ。
まぁ他のグループでやったらもっと凄い事になってんのかもしんないですけども。
今日もこうやって若い子いっぱい来てたしね。
自分らは真ん中らへんに座ってその前の方はガラガラだったんだけど、後ろはかなり埋まってて半分くらいは入ってたよ。

でね。肝心の映画はね、面白かったわ。いや良かった。
面白かったよー。事前にネットで感想見て回ってて多少覚悟していったせいもあるかもしれないけど(笑)。
逆にまっさらな状態で見たかったってのもあるけど(これがアレか、なんて見方しちゃったから。最後の三宅の笑顔とか期待しちゃったし)でも実際何の前知識もなく見たら「はい?何これ?どういう事?」ってなってたかもしんないかな(笑)。
うちの後ろの女の子たちは終わった後「びみょー・・・」って言ってたし(笑)。彼女らは岡田が好きみたいでアレじゃ意味ないじゃん、みたいな事言ってたから余計なのかもね。
でも私は楽しかったよ。好きなタイプの映画だった。話がどうこうとか別に気にしない人だから。てかそういう映画だと思って見るから。何でそうなんの?って気になる人には無理だろうね(笑)。
始まり方なんか無駄にかっこよかったしね。また格好いいアングルが多かった。足下とか車の後ろとか手とか、長回し多いと子供とか飽きるかなと心配だったけど自分はそういうの好きなんで楽しめた。
アクションも容赦なくてよかった。アレがもしぬるかったら自分は評価下げてる。上の子が三宅が剣持って横から走ってくるとことかで笑ってたよ。
子供には行く前、下の方に「そう(わざわざ小樽行って)までして見たいの?」とか言われたんだけどさ、でもお前らいっつもポケモンとかロックマンとデュエルマスターズの映画とか連れてってるやん、つまんなかったら寝てていいからさ、とかナントカいいくるめて無理矢理連れてきたくらいにして。
だけど上の息子(小5)は「面白いところいっぱいあって笑えた。ゾンビのところは怖かったけど」と十分に堪能したようであります。長野の「乗れよ」や岡田が幼稚園児の前すべっていくとこなんか他色々声出して笑ってた。
下の息子(小4)は「1/3くらいでもう見るの飽きた」と言ってたんだが、とりあえず最後まで大人しく見ていてはくれた。
それに帰り道に兄と交番のやりとりやってたよ。「ダンナに殴られた、バットで殴った・・・」云々のとこ。「500円」「いや800円」とか。子供はこういうの結構覚えるよな。

メンバーみんな良かった。
まぁそのね、私は森田剛がきっかけの人間だからね、どうしてもあの人を一番メインで見てしまうわけだけど、でもみんな平等によかった。
井ノ原のバカカップルっぷりとそれにあきれ突っ込む三宅。三宅はいつものアホっぽい子には全然見えんかったな。
長野のは「車好き」とかそういう問題じゃない(笑)。
坂本の悪刑事ってのはいいキャラだなー。長野が切れた時のおびえる様とのギャップも(笑)。
岡田の動きはコミカルだし。
ちゃんと2組と2人が絡まさってたし。
森田剛はね。何かあの足らなそうなしゃべり方とかね。
バーテンに絡むとことかね。あそこ好きなんだけど。
最後のはにかんだような微妙なような笑顔とかね。
終始困り顔でね。変なとこで切れたりしてねぇ。
グチグチ言ってて真面目なんだかアホなんだか。
屋上?に上って冷凍岡田を抱えた森田の場面、あの絵は神々しくすらあったよ。
何かいろんなとこでわーわー思った気がするんだけどいっぱいあったせいかもう細かいとこどこがどうだったとか覚えてなくてあげらんない。
どっかであ、この人顔かっこいいとか思ったりとかしなかったりとかあったような気もしないかもしれない。多分。
メンバー以外では日村が笑えた。いいわー。あのバットの振り回しようよかったよ(笑)。
最後もまたそれぞれの日常に戻るって感じで良かったし、みんないいキャラしてた。

映画館出た後って、しばらくはまだ映画の中にいるかのようで感覚がおかしくなっててさ、全部映画の1シーンに見えてくる。自分はそれが好きで映画館行くってのもある。
駅の改札前で電車待ちしてる時、子供が目の前ぶわーって走ってった後自動ドアがあいてすーって人が入ってきてさ、それが今見た映画のまんまみたいで、こう横長のスクリーンを見ているような感じになって。
ちょっと長い通路とか、やすっちいイージーリスニングみたいの流れてる寂れてるホームとかでさ、横で子供がわーきゃーいいながらもちょっと浸ってる自分がいたりしてさ。
ちょっとだけ「こういうのが撮りたい」っていう人の気持ちがわかった気になったりして。
ちゃんとそういう感覚に陥れる映画でしたよ。自分にとってはそれのあるなしは大きい。

SABU監督と彼らの関係ってのはどういうとっから始まってるんだろうね?前のはDVDで劇場公開なかったんだっけ。今年は10周年って事での全国展開なのかな?
また次も作って欲しいなぁ。願わくばこの路線で。
もう思いっきりこっち側の路線で。もっと訳わかんなくてもいいくらいだ。ファンの中には迷惑に思う人もいるかもしれんが(笑)。
自分的にはこの感じでやってってくれたら、よりいっそう彼らは自分の好みに近づいていくんだが、一般ファンのいるアイドルグループだからそうはいかんかな。
でもこんなん作ってる時点で既に結構アレだと思うんだけど。
いや爽やかとか感動とかそっちでも別にいいんだけどさ、それでいいもんであれば。でも中途半端に普通なものならイキ切っちゃってる方が楽しい(笑)。それが出来る人らだってのはコレ見て十分わかったし。
まぁ見終わった後何かを残す映画ではないけども(笑)、笑えたしさー、画はかっこよかったし、楽しかったよ。
細かいネタとか、多分色々気づいてないところとかたくさんあって、それがわかればもっと面白いと思うんだよね。
・・・これDVD出たら買うな。買うよ。うん。また次もお願いしたいです。
posted by シノブ at 03:04| Comment(4) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月29日

座頭市(03年日本)

これが初めて見るキタノ映画というのはどうなんでしょう。多分正しくはないと思うが今まで見る機会がなかったのだから仕方がない。逆に先入観もなくてよいんじゃないのかねとか。

時代劇というより現代劇みたいな感じで楽しめたですよ。
血がブシュブシュ出まくり死にまくりだったけど、バイオレンスというより、血がコントみたいにブシャーって飛ぶのもタップのリズムの一部みたいで軽快にすら感じた。
そもそも人の生き死に自体に意味のあるものではなかったし。

まず最初にカッコイイ1枚絵がありきでそれを繋ぎ合わせたような作りの映画だったが、そのカッコよい場面が実際ちゃんとカッコよいんだからこれはこれでいいと思う。
殺陣なんていちいち動きや画面にキレがあって、普段TVの時代劇そんなに見てないからあんま色々言えないけど、そっちはある程度様式美みたいなもんがあったりとかするんかね、それとは違って見ているこっちが昂揚させられるもんだった。

タカがいい味出しすぎだ。いいなぁ。随所随所でとぼけてくれていて。
あんまりしゃべんないたけしも雰囲気が出ていた。
全体的に斬りまくりの割に殺伐とはしていなかったな。むしろ面白かった。

私は劇場公開版を見ていないのでわからないんだが、カットされてる部分も多々あったみたいね。
劇場では良くてお茶の間ではダメってさ、最初からそういう言葉なりシーンなりが使われてる映画だってわかってる訳だし、放送できないなら大人しく深夜とかにしときゃいいのになんて思うがそこは大人の事情もあるんかね。あらかじめ抗議の種になるようなものは排除しておこうっていう。
文句つける方がバカだとも思うんだが、でも自分が実際その身になったらやっぱいい気分はしないんかな。でも実際抗議する人達って当事者ではなかったりするよな。
手塚治虫のブラックジャックも、その頃は普通だった表現や見識なんかが随所にあって、コンビニで売られていたものには最後に「当時の手塚の意志を優先したいので現在不適合な部分もあるかもしれません(要約)」との注意書きがなされていた。同じくコンビニで買ったじゃりん子チエも明らかに写植の字体が違うものがあったんだけど、あれもそうだったのかもな。
昔と今とは価値観も違うし、昔の障害者に対する差別意識は今とは比べもんにならない(今だって表立って表現できないだけで、なくなった訳ではないが)ので今だとキツイ表現なんかもあったりするが、でもその頃の物語を書くのならそういう当時の感覚みたいなもんもちゃんと描かないと嘘になる気もするんだがどうだかね。特にこの作品は市が「めくら」である事に意味があるんだから。て最後にひっくり返してくれるけど。

で、カッコいいだけの映画かと思ってたんだけど、最後に言わんとしてた事をぽつんと持ってきて終わった。
オチで伝説のクソゲー「たけしの挑戦状」の「こんなゲームにマジになっちゃってどうするの」を思い出したのは私だけではないと思うんだがどうか。
そういう「しょうがねーな」的な感じはたけし特有のものなのか、この映画がたまたまそうだっただけなのか。

黒澤明の座頭市の方も見てみたいと思ったけど、でもワシ友達と見に行った「夢」で寝ちまった(関係ないが知人宅で見た「タクシードライバー」も寝た)人なんでどうだろう。
こっちの座頭市はただ無為自然と血を浴びずにはいられない人だったが、あっちはどういう意図でもって描かれている映画なんだろう。実際この映画は勝新版座頭市との関連性がどこまであるのかはわからんが、でもせっかくなんで双方を見たいやね。

たけし主演の「血と骨」てもうやってるのかな?あれもちょっと見たい。キタノ映画では3−4x 10月が見てみたい。何となくだけど。もっと見た方がいいのあるのかもしんないけど。今日のタカはさっき書いたとおりいい味出してたし、柳ユーレイも女優霊で見たときは普通に良かったし。ていうか色々見てみたい。

カッコいい、そういう映画だった。

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2004年09月22日

Bowling For Columbine(02年アメリカ)

ダメだ、わかんね。それが最初の数分間を見た時点での感想だった。映画の内容が難しくてわかんないとかじゃなく、日本人の自分にはわかんないかな、と思ったんだよね。
でも見ていくうちに変わってきた。

この映画とマイケルムーアという人はよくTVブロスで紹介されていて、それで何となく興味は持っていた。今華氏911が上映中でその関係でこの映画が地上波で放送されたんだろうけど、どちらの内容も知らない自分にしたら何故その映画がこんだけ話題になっているのかわからなかった。日本人には所詮対岸の火事でしかなくわかんねーんじゃねーか?と
ずっと気になっていたこの映画をTV東京のおかげでようやく見ることが出来たんだが、これを見て華氏911のヒット(してるの?)の理由がわか…らないよやっぱり。何で話題になってんの?

私は勘違いしてたんだけど、この映画って銃問題そのものが主題な訳ではないのね。
銃が当たり前の町で何故銃一つでパニックになるのか?
カナダだって銃の所持率は高いのに何故こうも違うのか?
それを制御できないアメリカって、何なのか。

私は今まで米の暴力主義がどういうものか、なにゆえそうなったのか、わからないから自分には何とも言えないと思っていたのだが何の事はない、ただ臆病なだけだったのか。
仮想敵を作らなければ己の自我を保てない。
「勝ってきた」国だから「勝たねばならない」強迫観念があるのか?自分たちのやってきた事をわかっているからこそ、同じ事をされるという恐怖があるのか。
その点日本人は自分たちのしてきた事を全くわかっていないからのん気に構えていられるのかもね。
国を守る≠国民を守るではなくなっているのに、自分の身を守るのに必死な国の姿がまんま国民に重なるのが滑稽だ。
憎悪、恐怖、何故その感情が生まれるのか、そういうものを欲しているのは、そうさせたのは何なのか。

Kマートでの弾の販売を本当に差し止めた場面は、少し感動した。
そんな瑣末な事をやっても根本は解決しない、それも正論だが、はなから大きい部分を見上げて無理だとあきらめたり、ただ口先だけで攻撃したふりをするよりも、出来る範囲内で動かせるものを動かした方が一市民のやり方としては正しい。
目の前のものすら変えられない人間に何が出来るのか。
広報のもう弾は売らないとの声明のあと、本当に出来るとは思っていなかった、というムーアの表情が印象に残った。
彼は正義感からこれだけ動いているのではなく、ただ自分の疑問一つ一つを解決したいだけなんだろう。それはごくごく当たり前の欲求なはずなのだが。
最近うちのお隣に引っ越してきた人は凄く行動的で、今まで誰も面倒だとか仕方ないからと触れなかった事にバシバシ突っ込みまくり、実に頼もしい。その行動の原動力は単にお金が勿体無いとか、自分らばかり負担するのは納得いかないとか利己的なものではあっても、でも何もしない人間よりかは前を見ている。

しかし学校での銃乱射事件により学生を取り締まるって、普通に考えて違うってわかるだろうに何故誰も気付かないのか。この辺は日本と何もかわらんなぁという気もする。
一般的に常識人とされている人方が何故何の疑問も抱かないのか。凝り固まった世の流れほど怖いものはないな。
銃で同級生を殺した子が母子家庭で、母親が子をおいて働きに出なければいけない状況を責めていたが、この辺については自分が実際母子家庭の母親側の人間なもんだから思うところもなくもなかったり。
この映画で言わんとしているところからは外れるが、手を貸してやればやるほどつけ上がる階層もいるんよ。悲しいかな。それが当たり前と思ってしまって結果として何も生まなくなってしまったりって事もあるんよ。
貧しさって色んな弊害を生んでしまうから、当然なくなるに越した事はない。でも社会とそこで暮らしている人間とが同じ意識と価値観とをもっていて、それで初めて公的な救いの手をようやっと出せるように思う。個々人での話はまた別ね、社会的な規模の面での話。
話それたけど、銃を持つ権利みたいなものは否定したくはない。でも実際自分の目の前で、愛する人間がその愛好している物で殺されたとしてもそれでも変わらず肯定できるのかっていう話だよな。凄い簡単なことのように思えるけど、簡単じゃないのか。
それでも肯定出来るってんならもう何も言えんが、それはもう人ではないやな。
犠牲者が出てみないと気付かないのは人間の愚かなところでもあり、かつまだ救える部分でもあるかとも思う。

普段こういう事なんか全く考えてない人なんで、論点ずれている部分もいっぱいあるかもしれんけど、とりあえず思ったことなどずらずら並べてみた。
映画として、作品としてどうかっていう評価は当然全然出来んです。
私は単純な人間なので見た後、昂揚させられるものはあった。それだけでもこの映画の意味は(私にとっては)あったんではないかな。

途中、9.11の「あの日」に至るまでの歴史が当時の映像なんかで語られるが、まとめられた幾つもの事例はそれぞれ背景も動機も違うかもしれなく、それをもってアメリカを断罪する事は出来ない。
ドキュメンタリーなんて皆そんなものかもしれないが、チョイスの全てが一点に向かっている。これを全て鵜呑みにするのは危険だが、でも見て感じて考える自体は悪い事ではないと思う。勿論、これが片側からの視点だという事をちゃんと把握した上でだが。
こういう風に切り取られたものを見せられたときに、それをどう判断するか。そこから始まるものもあるかと。
アメリカにはアメリカの良さもあるがそれによる弊害もたくさんある。翻って日本、多分今の日本を良としてる人なんていないだろうし、一見平和ではあるがただそれだけ、でもそう感じている人間が、自分も含め何をしているのか、と考えた時に、この国の最大の問題が浮かび上がってくるように思う。

終わり方が途中でぶっちぎられてて、余韻が少なく物足りなかったのが残念。やはり映画館で見たかったかな。映画館出てしばらくは、あてられて無駄に興奮してそうだ。
しかし実際には何もしないであろう事は考えるまでもない。
吹き替えはどうしても声優さんの演技などで「作り物」感が出てしまうから、やはり英語でしゃべり方のニュアンスまでわかった方がもっとリアリティを感じられて良かったかもな。英語聞いてわかるようになりたいな。一時期暇つぶしにNHKの外国語講座を好きでよく見てたけど、英語はスルーしてたしそんな真面目に見てたわけじゃないから全然使えねぇ。こういうの見たり英語のいい曲とか聴いたりすると、せめて聞いてわかるようにはなりたいなと思うな。でも別に勉強したりはしないんだけど。やっぱりそこに至るか。

胸糞悪い事件を扱った映画にしては、後味は悪くなかった。単純に見ものとして面白かった。
ライフル協会のじじいにムーアの言葉は通じず、殺された子供の写真をおいてくるという少々嫌味な終わり方だったが、「ヤレヤレ」といった口調で終わるあたりにその辺の理由があるかも。
ムーアはダメなアメリカを呆れつつも愛しているのだろう。でなきゃとっくに出てるわな。
生まれた場所を愛するというのは当たり前のことで、それを良くしたいと思うのも当たり前、手放しで褒めたたえ賛同するだけが愛し方ではない。
誰にもどうとも思われなくなった時に終わる、と考えると日本はもう終わっとるのかもな。まぁそれでも私は自分を甘やかしてくれる何も考えなくても良いこの国から出ようとはしないだろうけどな。


あ、最後に一つ、「格闘ゲームは日本のもの」としてゲームの映像が流れてましたが、日本のゲームはあんな血ドバドバ出ませんから。あれどう見てもモータルコンバットか何かだから。これだけはちょっと突っ込ませてもらいたかった(笑)。

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2004年08月18日

リアリズムの宿(03年日本)@シアターキノ

監督:山下敦弘
原作:つげ義春「リアリズムの宿」「会津の釣り宿」
出演:長塚圭史、山本浩司、尾野真千子
音楽:くるり

前情報など一切なく、行き当たりばったりでたまたまやってたから見ただけなので、監督出演者等がどういった人たちなのかは全く知らないです。映画好きな人の中では有名だったりするのかな?
音楽がくるりでビックリした。映画の音楽よくやってるみたいだね、彼ら。くるりの音楽は過剰に演出する事なく、映画の平坦さ(褒め言葉)加減に一役買っていた。
原作は読んだ事あるけど、つたない記憶で比べても関連性は薄く、最初の宿の親父(何故外人…)と最後の宿の家族くらいで他はほぼオリジナルっぽかった。
どちらも滑稽さがあるが、原作はちょっと物寂しい感じがあるのに対し、この映画ではどっちかって言うと「情けなさ」の方が強く出されていたかな。
二番目の宿(結局泊まってないけど)の普通の家庭のばたばたした感じ、必ずしもきれいには繋がらない会話等が、原作と違うこの映画ならではのリアリズムだったように思える。

面白いかどうかと問われれば、動かない画面の長回しが続き端や真中で微妙に動いているものや画面の外から聞こえてくる音を追って見るのがメインでただひたすら淡々としていて、面白いと言い切れる部類のものではないかもしれないけど、あえて何かを得ようとしなければ個人的にはその淡々さ加減が好きだ。
突っ込みのないコントのような間や主役二人の投げやり気味なやりとり等、爆笑したりくすりとするというより、終始ニヤニヤしている、そんな感じがあった。
奇妙な時間を共有したもの同士のみが得られるおかしなテンションに、映画の終わり頃には見ているこちらも気付けば取り込まれていた。

エンディングクレジットによると鳥取県で撮られたものらしい。最初の幽玄的な山の宿も雰囲気出ていたが、こう言ったら鳥取に失礼かもしれないが、パーキングエリアや町並みやらの微妙な古さ・田舎臭さがとてもマッチしていた。

どうでもいい話になるが、作中で使われていたゲームはPS2の「ICO」で良いのかな?あのゲームいっぺんやってみたいんだよなー。つっても自分は任天堂信者なので、任天堂がハードを出し続ける限り他社のハードは自ら買うことはほぼないと思われるので(ゲーム機いくつも買ってる金がないってのもある)、きっとやる機会はないだろうが。
あのゲームの「そこの空気のみがBGM」な感じがまたこの映画になんとなくあってた気もするけど関係ないやね。

私は単純なので、映画を見たあとしばらくはその世界から抜け出せないタチで、この映画を見たあとも例外ではなかった。
小さい映画館でしかもレイトショーだった為観客は10人もおらず、終了後、その少人数が無言で細い通路をつらなり通り抜けていく。それもまだ映画の一部かのような感覚に襲われた。
しかもこの映画館は狸小路という商店街のアーケードの中にあり、外に出るとその雑多かつ遅い時間ゆえの寂しい感じがこの映画の余韻としてとてもはまっていて、会社がらみの飲み帰りっぽいおっさん連中、音もなくダンスの練習に興じる若者、ふいに聞こえてくるパチンコ屋のやっすい音楽と店内アナウンス、これらに妙な感覚が研ぎ澄まされ、それらもひっくるめで、「映画を見た」行為として楽しめた。


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2003年10月24日

クレヨンしんちゃん大人帝国の逆襲

噂には聞いてたけど…マジですげぇ。泣けまくっちゃったんだけど。ビデオとっときゃよかったなー。
友達で3児の母で本人もクレしん好きな人がいるんだけど、その人的には「クレヨンしんちゃんは面白くて笑えるから好きなんであって、だからこの映画はあまり好きじゃない」て事らしいんだけど、私はそんなこだわりないから、素直に「すげぇぇ」つって泣きまくった。
「懐かしくて頭オカシくなりそうなんだよ!」この台詞が、私にとって最大のクライマックス(最後の塔を駆け上がるシーンは先にアニメベスト100的な番組で見てしまっていたので感動薄し、もったいない)。流されそうになりながら、自分の感情に必死に抗い家族を守ろうとするヒロシはものすんごくカッコ良かった。
しんのすけに大人になりたいと思わせたのは、周りの大人が魅力的だったからで、子供が素直にそう思えるのって大事な事だと思う。大人が子供に一番見せてやんなきゃいけないのはそういう部分じゃないんかね。生きてくってのはすばらしいんだよと。
生きていたい、今をこうして生きている以上、どうしたって生きてくしかない、心地よい事ばかりじゃなくても、でも今はこうして生きているのが幸せなのだと思わせるのって理屈じゃない分難しいけど。
TVシリーズも含め、クレヨンしんちゃんって子供が見てもわかんないような、明らかに大人に向けたギャグややり取りなんかも散りばめられていてそういう意味でも楽しめたりする。
良質な子供向け番組って、「子供はこんなもんだろう」ていうある意味での手抜きが無いものだと思うんだよね。勿論子供の理解力なんてたかが知れてるから高尚にする必要なんかはないし、逆に大人しか楽しめないものはどうかとも思うけど、ただ大人になって初めて意味がわかった時に受ける二度目の衝撃ってのは結構大きかったりする。子を持つ親としては、子供を対象にした物を作っている人方はその辺心にとめて頂きたいし、自分の子供にはそういうものを与えていきたいなと思ったりしてる。

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2003年08月03日

CITY OF GOD(03年ブラジル)@シアターキノ

北京ヴァイオリンの後、続けてCITY OF GODを見る。こちらはキッツかったです、始終銃声鳴りっぱなし。でもただのヴァイオレンス映画ではなかったです。
そこに生まれたというだけでそう生きざるを得ない子供達が半端じゃなくリアルで。結局警察のクソさが表にさらされる事は永遠にないし、一人がいなくなってもまた新たに生まれ繰り返されていくだけで、救いがないといえばない終わり方。己以外は信じないリトル・ゼが、最後の、というか唯一の友を無くしたとき初めてあらわになるその強烈な孤独。ギャング的なものをカッコよく描くのってあまり好きではないんだけど、これはそこよりも青春もの的な部分もあり、それゆえ嫌な後味はなかったです。最後までスピード保ったグルーヴ感のある映像で、一気に畳み掛けられました。
方向性真逆なものを立て続けに見るってのは、余韻を楽しめないと言う意味では失敗かもしれませんが、どちらも心に何かを残す作品だったので無理してでも見て良かったです。
ラベル:シアターキノ
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北京ヴァイオリン(03年中国)@シアターキノ

私がいつも行く映画館、狸小路6丁目のシアターキノ。たまたま行ったら偶然にも私が見たいと思っていたまさにその2つの映画が立て続けに上映中。シアターキノ万歳。
まず北京ヴァイオリン。終盤安っぽい泣きが入るのはちょっ何だが、そこをメインとしてとらえなきゃいい映画だったと思う。
つーか、私は好き。主人公の少年が良かったってのが一番の理由なんだけど。一応天才ヴァイオリン少年って事なんだけど、ほんと普通のシャイな13歳の男の子って感じで。思春期特有の感情の揺れの激しさ、ムラみたいなもんが淡々とした演技ながら滲み出てて。演じてる本人もヴァイオリンを弾くので、演奏シーンも全く無問題。ラスト数分間の駅でのヴァイオリン演奏は、それだけで感動できた。この子じゃなきゃ、この映画は成り立たなかったんじゃないかと思う。
柄本明と内藤剛志を足して2で割ったような父親も、田舎もん丸出しだけど子供思いでいい味を出してて、素直にいい映画だった、と思えました。
ラベル:シアターキノ
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2001年10月23日

ただいま(99年中国)@シアターキノ

ひょんな事から平日空いて、フラッと入ったところでやっていた。「感動中国映画特集」て企画の中の一つだったらしいんだけど、私は感動っていうより、寂しい映画だなぁ、て印象。
ひょんな事から姉を殺してしまい17年もの間刑務所に入っていた女の人、それぞれの連れ子が一人は死に一人は犯罪者になってしまい二人きりになってしまった夫婦…明るくて屈託なかった少女はオドオドしたおばさんに、毎日のように言い合いイガミ合いしながらも愛し合っていた夫婦は物言わぬ白髪の老人にしてしまった17年間。
かつての少女の、全く変わってしまった風景へのとまどい、「帰りたいけど帰りたくない」気持ちや、家にたどり着いてからひたすら続く静かさには、見てる側まで緊張させられる。
そして最後、長い長い沈黙の後、娘と両親は抱き合って家族の愛を再確認する。そこが感動、て事なんだろうけど、私はそれより寂しく感じてならなかった。
この家族は、これから、穏やかに何事も無く(起こさないように)、ひっそり世間から姿を隠すように残りの人生を生きていくのだと思うとね、…何の力もない一小市民の寂しさっつうか、そういうもんを感じちゃってね。それが生きていく以外には何も望まない人達にとっての幸せではあるんだろうけど。
刑務所の主任の女性が元気で活々としてたのが救い。重苦しいだけの映画にはならずにすんでいた。その彼女も、自分の家に対して複雑な思いはあったりするんだけどね。それもほの寂しかったり。でもそれは「家」てものがまだちゃんと形として存在してるからなんだろうね。
私は目悪い癖に眼鏡かけてないんで、小さい映画館はちょうど良かった。後だと字幕読みづらいけど前だと首疲れるから。この映画にもあってたかもしれない。大作って作品ではないし。何か、ちょこっと寂しい気分にさせてくれる映画でした。
ラベル:シアターキノ
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2001年10月21日

「白い花びら」(98年フィンランド映画)

2001年10月21日「白い花びら」(98年フィンランド映画)

監督のアキ・カウリスマキは、名前は知ってはいる、程度で、作品を見るのはこれが初めて。私は名前を知ってるだけで何だか「知ってる」気になっちゃうアホなので、見れて良かったです。ありがとうNHK。
白黒の、サイレント「風」(私は本物のサイレント映画見た事ないんで正しい定義わかりません)の映画。ストーリー自体はベタ気なメロドラマ。そこらへんは、あえて、なんだろうけど。サイレントって一枚間おくような、小芝居を見てる感じが強くて、最後とか悲惨なはずなのにそこで強く感情動かされる訳でもなく、実にあっさり終わる。そういうのも狙いなんでしょうか。
私はとにかく映画、数見てないんで、ストーリーの内容ではなく映画の文法そのものに意味があるものって、ちゃんと理解できなかったりする。この映画だって、「今の時代にサイレント映画を撮る」そこに込められた真意はわからないし。何かまた関係ない自分の話になってくけど、ワシはほんと、「好き・嫌い」言う前にまず色々なものに触れんといかんね。
じゃないと好きか嫌いかすらわかんないんだから。音楽でも漫画でも何でもそうだけど、映画は特に「見ず嫌い」が多いんで、私。ド・エンターテイメントもの見てる上でこういうの見て、それで初めて違いがわかる訳で。片方だけじゃ見えてくるものも狭いだろうし。別に何かを気取ってるわけじゃないんだけどねぇ。多分見たら見たで普通に楽しめるんだろうと思うけど。駄目だなぁ。カッコ悪いなぁ。自分にこれだってもんがないから、そういうものでごまかそうとしてるんだろうね。ダッサイわぁ。
…あ、思いっきし自虐モードに入ってる。ヤメヤメ。映画の感想。この監督の他の作品も見てみたいと思いました。…何かマジで変な日記になっちゃった。ここ読んじゃった人、ごめんなさい。
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2001年10月13日

パーフェクト・サークル(97年ボスニア・仏映画)

深夜にTVでやってたのをたまたま見ただけなんですが、これ、今放送するのって、明らかに何等かの意図があるよね?戦時下のサラエボで撮影された映画らしいです。
正直、半分寝ながらで最後は見届けてないんでタイトルの意味するところをきちんと理解したとは言いがたいんですが。
まぁ、例の事件に対して色々思うところもなくはないんだけど、大して深く考えてない人間が安易に「戦争反対」とか言う事程つまんない事もないとおもうので、ただ一つ、戦争が日常であるってのは今の私には到底わからない世界だよなってとこで。こんなんのん気に書いたりしてるくらいだしさ。「通りを渡る時は3人目が狙われる」これを常に頭に入れておかなければならない世界。でありながらも、夫婦は普通にいがみあい、子供は坂をソリで滑り降りたりしてる。
そこでの、「詩人」という職業。この状況下、最も必要とされていない職業。必死で紡ぎ出した言葉も、何の役にも立たない。
今まで世界のあちこちで何度となく戦争はあって、そこで文学なり芸術なりを営んでいる人間というのは実際たくさんいた訳で、その人達はそれを自分の作品に著し弾圧に負けずもしくは迎合し後世にものを残したが(もっと昔なら歴史を語り継ぐ役目もあったろうが)、この映画に出てくるハムザのような「弱いからこそ、詩人になった人」は、それも出来ず。
自分の言葉に意味がない、という事はつまり自分そのものが意味がないと言われたと同意。ただ頭にあるのは首を吊る自分のイメージ。
…駄目だ、何かただの説明になってんな。感想になってないな。
まぁ、あの、とにかくその辺の「空しさ」みたいなもんが自分としては一番感じるところあったっつうか。この映画はそれだけではないとは思いますけど。ハムザの元に転がりこんだ二人の孤児については全く触れてないし。まぁいいや。駄目だなぁ、書けねぇなぁ。
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